阪神大震災から11年です
当時相模原にある
大学の1年でした
学校が休みにはいった3月
震災の住宅診断ボランティアに
参加しました
元町にある兵庫建築士会へ
診断してほしい、と
問い合わせがあった家をまわるです
リストを渡され
2人1組で芦屋から明石までの家を
診断しにいきました
静岡建築士会から
ボランティアできていた
工務店経営のおいちゃんと組んで
まわりました
診断できるほど
知識や経験もなく
私の役目はおいちゃんの診断を記録です
1週間おいちゃんと
歩いて歩いて歩いたです
震災から2ヶ月たったそのときも
JRは芦屋から三宮まで不通
おいちゃんは鉄板の安全靴を
はいてきていたが
「こんな歩くと思わなかった」
2日目には歩きよい運動靴を
三宮ガード下の店で
買って履き替えてました
おいちゃんは
屋根裏へはいって
診断
長田のある古い木造住宅は
なぜか大きな鉄骨の梁が一本はいっていて
それが家を支えて大丈夫だったんだ、と
家の人にいいました
舞子の山肌造成地の住宅では
溝が地山側にあるから大丈夫といい
歪んだアルミサッシを
するするなおしてあげたり
ひょいと下屋の屋根にとびのって
瓦の具合をみたり
とても身軽でした
「あ、血がでてますよ」
というと
リュックからビンをとりだし
それを口に含んでから
プーとふきかけました
マムシ酒だそうです