夏休みの自由研究

夏休みの自由研究は
悩みどころだろう


去年小学6年だったチビリンコは
いとこのエデンに
「ごはんに言葉をかけると」
「麹になったり、腐ったりするらしいよ」
と教えてもらい


さっそくそれを
夏休みの自由研究にしたのだった


1、ガラスの瓶を3つ煮沸消毒し
2、炊きたてのご飯を3つ分けそれぞれいれる
3、蓋をして密閉
4、一つ目の瓶には「愛してるよ」「ありがとう」「大好き」
  二つ目の瓶には「殺す」「死ね」「むかつく」
  の声掛けを毎日する
三つ目の瓶には一切言葉をかけず無視をした


すると
1週間目くらいから変化が訪れ
夏休みも終わる頃
エデンが言ってたとおりになったのだった


愛してるのご飯は白い麹になり匂いもいい
殺すのご飯は青いカビが生えて臭い
そして
無視したご飯は黒く腐り激臭だった


それらのご飯は
夏休みが終わり
声掛けをやめた9月の間も
ずっとその状態でいた


担任の先生がその自由研究を欲しいといったので
瓶やもろもろ先生へ託した後
それがどうなったか不明であるが


ひょっとしたら今でも
白い麹はそのまま腐っていないかもと
考えられる


わたしはめっちゃ不思議だった


言葉ってなんだろう?


全ては波動だというから
言葉からも波動や波長がでてるんだろう


愛してるという響きは
まず意味があったのではなく


そのアイシテルという響きが
例えば何かを腐らせない、育む、などという
特別の波長をもっていることを知った昔の人が


アイシテルという響きに意味を持たせたんじゃないだろうか


まず
響きが先にあって
それから意味がついたのだ


きっとそうだ、と瓶を見つめて思ったのだった




科学的に証明できないことを
信じるのがむずかしいなら
その現象をみたらいい


科学で証明できないのは
科学が現象についてこれないほど
超法則で成り立っているからだろう


目に見えない現象なら
目に見えないことを信じられないと思うなら


わたしはいつも不思議だ
電気は目に見えないではないか?
目に見えないものをエネルギーにかえて
使っている


電気は魔法ではないのか?
そしたら


音や響きもエネルギーにかえることだって
できるんじゃないか?






思いなどのイマジネーションは
電気と
どこがどれだけ違うのか?
どうして電気をエネルギーにかえれるのに
イマジネーションをエネルギーにかえれないのか


疑問でいっぱいだ