<<今日の小西田鶴子先生>>
プロジェクトXかりてきてみました
風の中のすぅばるぅ
砂の中のぎぃんがぁ
みんなどこへいいったぁ
見送られることもなくぅ
2001年4月放映の
「耳を澄ませ 赤ちゃんの声〜伝説のパルモア病院誕生」
という回でした
内容を簡単に説明すると
今から30〜40年前は
妊娠・出産を担当するのは産婦人科医で
あくまでも母親の生命を優先させており
小児科医は生後1ヶ月から15歳までの子供を対象としていた
そして産婦人科と小児科はお互いの領域を干渉すべきでない
というセクショナリズムがあり
彼らが協力して母親と新生児の
命を守るという考えはなかった
難産で傷ついた赤ちゃんは治す術がない、と放置されていた
京都府立医科大学付属病院の三宅廉先生は小児科の医師で
産婦人科と小児科の壁をとっぱらって
傷ついた赤ちゃんを救う為に
バルモア病院を昭和31年1月15日に設立した
そのときのメンバーが
小児科:三宅先生
産婦人科:椿先生
助産婦:小西先生
パルモア病院の設立以後
新生児医療〜妊婦(胎児)の段階で二人の医師が連携をとり
分娩には必ず立会い新生児をケアする、助産婦はその全過程をサポートする
(例えば呼吸をしてない赤ちゃんには心臓マッサージをする等)
この考え方が
日本中の大学病院へひろまっていき
赤ちゃんを救うために
セクショナリズムという壁はとっぱらわれていった
そして
死亡率が10人に1人だった新生児は
現在では1000人に対して二人である
というのがこの回のプロジェクトX
なんだけど
小西先生だけが番組に出演していました
三宅先生は平成6年に90歳でなくなり椿先生はわかんないけど
奥様が当時の様子をインタビューで対応してました
小西先生はなぜパルモア病院の立ち上げに
迷いなく加わったかというと
「とにかく勉強がしたかった」
と答えてました
「三宅先生の燃える思い、志のお手伝いがしたい、と思ったから
生きてこれた」
地位も名誉も捨て赤ちゃんを救う為に
と番組はいっていたけど
「地位も名誉も捨て」
という意味を私に理解させ
志というものが
どおして大切なのかを気づかせる生き方です