ねむの木村

金木犀が再び咲いている
いい香り
しかし
なんでかなぁ


ところでところで


まり子先生とは
宮城まり子さんだ


1968年
宮城さんは
ねむの木学園を設立した


学園内に
小学校、中学校、高校
そして職能専門高等学院をも
次々と開校している


1999年
静岡県掛川市垂木に
ねむの木村をつくり
ねむの木学園もこの地へ移転した


ねむの木村
福祉と教育と文化の村だ


さて
話をねむの木村
茶室、和心庵へ戻すと


本目俊光さんと話をしてたら
お茶菓子が運ばれてきた


そして
本目さんが御手前したお茶も
目の前におかれた


私はふだん
お菓子もお茶も
ぐいぐい食べて飲むのだが
作法は全くわからない


隣に座ってたジュンボーが
横から教えてくれた


「お茶をされてるんですか?」
その様子見た本目さんが
ジュンボーに聞いてきた


「はい、同じ裏ですね」
ジュンボーが答えた


裏っていうのは
千利休裏千家のことだそうだ


お茶名には歴代家元の
「宗」という文字がつくらしい


本目さんのお茶名は「宗俊」
ジュンボーのそれは「宗純」


自分の名も一文字はいる


宗俊「今もやられてますか?」
宗純「お茶の先生が亡くなってからやってません」
宗俊「どこまで?」
宗純「準教授です」
宗俊「え!それはすごいですね」
宗純「ずっと続けてるんですか?」
宗俊「はい、お茶におわりはありませんので」


侘びさびの茶室にて
ハイソサエティーな会話は続く


めっちゃセレブリティな感じだ


ハイソサエティ&セレブリティ
むっちゃ憧れるのだった




帰ってきて


私はジュンボーにメールで尋ねた
「どうやったら準教授になれるのか?」


返事が来た
「簡単にはもらえない、まず習うこと」


そこで再び尋ねる
「けちっ!もっと詳しくおしえてよっ」


・・・応答なし


ケチとか言われて
ほいほい教えるお人よしもいないであろう


聞き方を間違えた




仕方ない
自分で調べるしかないのだ


まず入門
小習
茶箱点
茶通箱
唐物
台天目
盆点
和巾点


読み方さえも
わからぬ


ここまでが中級


行之行台子
大円草
引次
真之行台子
大円真
正引次


ここでやっと
茶名がもらえる
その次が
準教授らしい


気が遠くなりそうだ


ざっとみても
15〜6年はかかりそうじゃないか


60になってしまう


ジュンボーの先生自身も
亡くなられるまでずっと
お茶を習っていたらしい


本目さんが言われてたように
お茶に終りはないのだろう


人がひとり生きているうちに
学べるものではないのだ


自分が受け継いだものを
また次の人へつなぎ
成長してくものなのかもしれない


そうやって
血がつながっていくみたいに


心がつながってくんだ






ということで
ねむの木村へ行かれたら
必ず
和心庵を訪ねてください


きっと
すてきな出会いが待ってます